よくその中で、「ゴール(実現したいこと)は人に言ってはいけない。ドリームキラーに攻撃されるから」という趣旨のことを言っているのだけど、私は言いたくなってしまう。
俺は、「俺の東京タワー」を作りたい、のだと思う。いや、作りたいというのはおかしい。
それは映画や本でもないなにかであり、モノとか作品じゃない「人生そのもの」みたいな感じがする。作るとかではないのだ。よくわからないのだ。
その「俺の東京タワー」への欲望、それは私を動かすエンジンみたいなもので、そのことを意識すると、最初は興奮状態が訪れるのだが、その後、何だか生きる気力がなくなっていく。
それは、何か人生の答えを見てしまったような感覚になってしまうから。
ディズニーランドのスタッフ控え室とかの裏側を見てしまったような感覚があり、空虚に感じるから。ネタバレをしてしまった感じがする。
だから最近は、あまりそれを意識しないようにしている。
これはいわば精神分析の言葉の「対象a」のようなものなのではないか?と思っている。
対象aという概念を理解しているとは思ってないが、実体がなく、目に見えなくて、欲望の原因とやなるもので…と、当てはまることが多い。
それ自体は空虚であり、あまり見ようとしてはいけないもので、見続けると気が狂ってしまうのだと思っている。
でも不意に見てしまうことがある。
俺はリリーフランキー原作の映画の「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」のサントラを聴くと、それを見てしまうことができる。
現世では捉えられないこと、死んでからじゃないとわからないことを俺は見ようとしている気がする。