もう仕事をしたくない

公務員を辞めて民間に転職をした。勤務開始から二週間くらい経ったのだけど、もう既に仕事を辞めたくなっている。

やっぱり人と一緒に何かをするのが私はしんどい。

多分、私があまり苦痛なくできる勤め人としての仕事はこの世にあまりないだろう。もしかしたら、ひとつもないかもしれない。

私の「彼女」が、多分冗談でなく本気で、そんなに仕事が嫌なら私の扶養に入ってもいいよと前言ってきて、けっこう本気にそれをあてにしたくなってきた。

責任がなく、1人でできて、辞めたくなったらその瞬間に辞められるような、例えば掃除のアルバイトでもしながら、専業主夫になるというのは、世間体を無視すれば非常に素晴らしい理想的な状況だと思う。

とはいえ、本当に向いてる勤め人としての仕事がこの世にひとつもないとはまだ限らない。今回の失敗は、前からわかっていた「自分はオフィスワークは多分向いてない」ということを無視して転職してしまったことだと思う。

次転職するなら、工場労働者か清掃を視野に入れて、働いてみようと思う。

2024年3月14日

4月に、公務員から民間に転職をするのだが、親にそのことを言わないといけないのに、面倒くさくて伸ばしていた。

今日、ついに電話でそのことを言ったのだが、想像では父親は割と普通に受け止めて、母親はショックを受けるという絵が浮かんでいたのだけど、結果はその逆であった。

父親の方が動揺し、1時間弱、詰問気味に色々聞かれた。意外と色々世間のことをこの父親は知っているのだな、と思った。

なんとなく、この結果は面白くなかった。親がどうこう言ったところで自分の気持ちには影響はないと思っていたけど、自分も動揺している。

将来性がない、とか、民間は公務員よりも大変だ、とか、普通の親みたいなことを言われて、そういう感性を持っている人だったのか、と意外に思ったし、こういうことを言われて普通に屈辱的な気持ちになった。

 

こういう時、人生って自分にはどうにもできない面があることを思い出す。

この出来事は、自分の人生には要らなかった。起きなくてよかった。

でも、起きる時は起きる。

だから人生を映画みたいにコントロールすることは、不可能だ。

 

不可能だ、と人生を結論づけたとして、じゃあどう生きればいいのか。

ただ生きるのか。

それって何なんだ。生きるというのだろうか。

私に考えることができるのはこの程度のことまでだ。

今日はもう寝る。

2024年3月4日

俺の東京タワ−を書くのは、しんどい気がしてきた。

一生、書けないかもしれない。

精神的に非常にしんどいだろう、書くのは。

生きることが辛いうちは書けないだろうけど、生きることが辛くない時は多分書きたいと思わないはずなのでこの「俺の東京タワー…自分が生きてきた記録を残したい」という気持ちは、生きることが辛くて人生を総決算したい時に出てくる夢みたいなものなんじゃないかって思う。  

 

ひとまず、「俺の東京タワー」は横に置いておこうと思う。

まずは、生きることが辛く無い体制をこの人生で作っていきたい。

 

私は自分のシゴト偏差値、素直に見積もって45くらいだと思ってる。

このシゴト偏差値を上げることはできないので、偏差値45で快適に生きていける人生に作っていく必要がある。

 

大原扁理という人の「なるべく働きたくない人のためのお金の本」という本を先週読んだ。

文字通りの内容の本なのだけど、読んで一つヒントになったのは

「自分が無理のない範囲で稼げる生活費から逆算して使うお金を決める」「生活の選択肢をルーティン化させる」

などのやり方で、いやこれはすごく当たり前の話なのかもしれないけど、私はなんというか、ちょっと辛い思いして稼げる額に、ちょっと無理した使い方をしないと人生ってダメなんじゃないかなって思ってた。

稼ぐのも貯めるのも無理して初めて、人生に箔が付く・・・みたいな。

本当にそういう考え方を持っていた。

そして、常に生き方はアップデートしないといけないんじゃないかって。

それとはおさらばしようと思う。

 

たとえちょっと稼げるようにこれからなったって

生活スタイルを変える必要もないし・・・とにかく色々考え方のヒントになった。

俺は変な話金を稼げるようになるのも怖かった。自分の生き方を変えるのが面倒くさいから。

 

要は、快適に生存することを中心に、生活の全てを構築していって、いいんだって思ったのだった。

その時その時持っている手札を最大限に利用しないといけないということはない。

快適に生きることが大事。

幸せになるのは、諦めた!

今日、仕事中思った。もう、幸せになるのは、諦めます。

 

何でそう思ったのか、具体的には自分以外の個人情報を晒すことになるので、書けないけれど、とにかく、諦めることにした。

 

大学生の時、10年前くらいになるけど、その頃は強くそう思ってた。幸せになってはいけない、と。

その頃そう思っていたのは、哲学者の中島義道の本を読んだのが原因として大きいと思う。あと、画家の石田徹也の生き方を参考にしていたのもあるだろう。

幸せになることは美しくなく、求道者の様に美しく生きたいと思ってた。

 

今回は、幸せになれないと思ったからそう思うことにした。自分には幸せになることはできないと思った。つまり、そもそも私には幸せになることは、選べない、選択肢にないんだと思った。

 

だから、潔く諦めることにした。

 

最近、徐々にやっぱり幸せになりたいって、思ってきたところだった。

福原遥とか大原櫻子と結婚したかった。そうでなくても、可愛い優しい同世代の人と付き合いたかった。そして、いつか子供が欲しいと実は思い始めていた。

 

私の頭の中に、最近描いてたロードマップがある。

f:id:lilychan-is-verynice:20240226124956j:image

玉ねぎみたいな形になっているのは、人生のスケールとか広がりをこうしていきたいと表している。

最初は、私の人生は非常に閉じたところから始まった。誰でもそうかもしれないけど、私はとりわけ閉じていた!と思ってて、とにかく小さい世界の中で夢心地で生きていた。端的に言えば幸せだった。

小学生になるくらいで、世界が無理やり広げられてしまった。ここからの人生は、劣等感と無力感、これじゃいけない感みたいなものにずっと苛まれてきた。しかし、それと同時に、何かこう、閉じた世界になかった期待感みたいなものも常にあった。いいところも悪いところもあった。

私は、この広がった世界を、これからは整理していき、閉じていこうと思っていた。その整理の作業が、何か作品を作ることだって思ってた。

閉じたら、普通の幸せな人間になろうと思ってた。その思い描いてた幸せな形が、非常に平凡であるけど…同世代の可愛い女と結婚して、子供がいる ということだった。そして、どんどん閉じていこうと思ってた。幼少期のような夢心地の世界に行こうって思ってたのだ。

アルジャーノンに花束を、という映画やドラマにもなった小説があるけど、イメージはそれに少し似ていた。

主人公のチャーリーは、最初は知的障害のせいで、自分がバカにされてることも気づいていなく、劣っていることも強く意識していていなかった。

しかし脳の手術で頭が良くなって、世界が広がった。色々見える様になった。それは素晴らしいことのようだし、実際いいこともあるんだけど、同時に、自分が今までバカにされていたことにも気づいた。

最後、結局向上した知能は元通りに下がっていく。

そんなイメージに近かった。

 

ああでも俺には無理なんだなって思った。多分。

幸せになれないと思った。いろんな理由があるけど。

幸せになることを諦めて、とりあえず淡々と、人生を片付けていこうと思った。その先に何があるのかはわからないけど、いちいち自分の人生に落ち込んだり、リアクションを取るのはやめようと思った。

大したことのない人生だし、何も救われないことだって普通にあるはずで、その日まで淡々と、やろうと思った。

つまり、救われなくてもいいって思った。苦しんで死ぬことも人生の一つだと思った。

2024年2月20日

自分のことを説明したり、発表したりしたいのだけど自分の中でいろんなものを温めすぎてしまったので、自分にしかわからないこと、例えば心の中でしか使っていないオリジナルの言葉とかがきっと多くて、それを今更いちいち解説して書くのが非常に面倒くさい。

とりあえず、いちいち解説しようと思うとしんどいから、あるがままに心に浮かんだことを書く。

今は、あんまり元気がない。大体、東京タワーのことか、90年代のことを考えると元気が湧くけど、今は湧かない。

原因は、内定を得たのにやっぱり蹴る連絡をしないといけないことをずっと延ばしていることだと思う。多分、それが解決したら、この異常なだるさは嘘のように治るだろう。

他の人からしたら、バカみたいに思うと思うけど、内定辞退代行というのを使おうと思う。

そういうサービスがあることを、昨日ネットで知った。

一万円くらいかかるらしいけど、一切のコミュニケーションを転職サイトと内定先にとりたくないので使おうと思う。だって、怖いんだもん。

現職場に電話がかかってきたりする可能性、なくはないので怖い。

内定先から損害賠償請求が来る可能性がなくもないらしい。請求されても、ほとんどこう、上手くいくことはないらしいけど。

一昨日、弁護士ドットコムというサイトに300円で登録したので、知った。

でも内定辞退代行に連絡するのも、しんどいな。

今日やろうか。この後。

 

10年前のことを思い出す不思議な日

今、なんだか10年前の浪人時代を思い出して、あの頃と自分が地続きでいるような感覚になっている。

地続きなのは確かなのだが、過去のことと自分が地続きでいるという実感が普段生きている中、自分はあまり持つことができなくて、こういう瞬間はたまにしかないので嬉しい。

 

やはり10年前の自分のことが好きで、自分はその時の記憶を無意識の中でも拠り所にして生きてきたのだと思う。

あの時のことを考えていると精神が落ち着く。

自分の人生において、価値が何かわかっていた時だった。

 

痛かったのだけど…。

そして、今から見れば、あんまりかっこよくないことなのだけど、それでも拠り所になるような記憶。

でもあんまり、美化しないで生きようと思う、

美化するとこの記憶が腐るので。

 

死刑について

死刑制度に俺は反対の立場だ。

いや、立場…などと言う言葉を使うことには違和感がある。

立場という言葉は、仰々しいという感じが自分にはあって、そういう仰々しさ?が俺の中にはほとんどないと思ってる。

なんか、オトナが意見を持つときの仰々しさ?のようなものは、俺にはないのだ。

 

話を戻す。

死刑制度に俺は反対だ。自分の身内が殺されても、犯人を死刑にしたいとまでは思わないと、思う。

多分、死刑制度というものが自分には怖すぎて、それが自分の生きてる日本にあることが怖すぎるから、あってほしくないと思うからだと思う。

いつ死ぬかわからないまま毎日を過ごして、ある日、ヤクザでもキチガイでもない、国家公務員をしているような常識的で善良な大人に引きづられ、数時間たらずで殺されてしまうことが考えただけでも恐ろしい。

やはり犯人とはいえ、そんな方法で殺されることが気の毒に感じる。

 

ここまで書いて、めんどくさくなってきた。どうでもいいや。

ただ、ネットでよく見る、犯罪者への(9割こんな意見?)死刑にされて当然…どんな理由や生い立ちがあるにせよ…的な意見に全く同調できないので吐き出したくなっただけ。私はああいう感性がないので、日本のマジョリティとは上手くやれないと思う。